(2)選考が大荒れした直木賞受賞作「テスカトリポカ」を読んで
前回に引き続き。
神話は統治ツールなのか?結果的にそうなっただけなのか?
アステカ帝国の祭祀は、統治においても重要だったと思われる。
- 恐怖によって政策の実行度を高める
- 侵略の正当性を神話に求める
- 王権神授説により、神の意志を司った王によって信賞必罰が行われる
「サピエンス全史(ユヴァル・ノア・ハラリ)」でもそのことは指摘されている。虚構がなければ人類が作れる集団はせいぜい50人となるが(ネアンデルタール人などはその規模)、宗教・会社などの虚構があることで、大人数での集団を形成することができる。
いつも気になっているのは、統治ツールとしての虚構は、意図して生み出されたのか、最初に狂信的な者が作り出したものを誰かが利用したのか、どちらなのだろうということだ。
これは企業経営に置き換えると答えが出せると思った。
企業独自の虚構は、その会社の風土やカルチャーとなる。
APOLLO11の虚構について考えてみた。最初は僕の狂信的な熱狂によって始まっている。
それは、意図して作られたわけではない。
幹部が経営ツールとして、その虚構を進化させてきた。
それは、
- 経営理念
- ビジョン
- 行動規範
などと形を変えるが、ほとんどの場合経営者の色が出る。
26歳の頃、友人の医者に「大企業があるのに、こんな時代に起業する意味ってあるの?」と問われた時、上手に答えられなかった。
今もし答えるとすると「狂信的な虚構の数だけ会社は出来る」「狂信的な虚構を表現しないことは僕には出来ない」とかになるだろうか。
どう答えても、キョトンとすることは間違いない。
記憶転移と細胞記憶
心臓移植をされた人に、ドナーの記憶が宿ることがあるらしい。
脳のハードディスクである海馬に蓄積されているはずの記憶が、何故心臓から転移するのか?
正確な答えはまだ出ていないが、細胞記憶という説がある。
細胞記憶の話について始めて知ったのは「教団X(中村 文則)」で、ある新興宗教の教祖の話として紹介されていたからだ。
「一つひとつの細胞は、呼吸をし記憶もしている可能性がある。そして地球が誕生してからの質量の総量は変わっていない。死体が灰となり空に帰り、雨として降り注ぎ作物を通じて、新たな生命に転移することはありえるのではないでしょうか」
みたいなセリフだったと思う。
0歳3ヶ月のわが子を見ると、まるで物思いに耽っているような大人びた態度を取ることがある。
大人びた視線に見透かされている様な感覚を得ると、本当に大人の記憶を持っている人なんじゃないかと錯覚することすらある。
そして喋り出す頃には全ての記憶を失ってしまうのかもしれないと、SFチックな輪廻転生を妄想することがある。
「葬式不要・戒名不用・死んだら腐るだけ」と言った白洲次郎に憧れるところもあるが、もしも細胞に記憶が宿るのであればそれはそれでロマンがあって良い。
バイオセンチメンタリティー
驚いた。
こういう概念と言葉があると思っていたが、言葉は作者の造語らしい。
この概念によって、ドナーの子どもたちに日記を書かせることが、物語の重要なポイントになる。
凄まじい発想と展開力だと改めて驚いた。