(1)選考が大荒れした直木賞受賞作「テスカトリポカ」を読んで
一部ネタバレを含むが感じたことなど。あまりにも長くなったので分割。
皆既日食について
原始宗教において、必ずといってよいほど登場。
開発されるまで人間にとって自然は「怖い」ものだった。
私は「もののけ姫」が好きだが、エンディングで、森は元に戻らないみたいなセリフをサンが言っていた。シシ神のいない森は最早、神秘性も怖さもないのである。
闇夜は人を不安にし、灯りを見ては人は安心する。
当時の人々にとって皆既日食がどれ程怖いものだったのか想像を絶する。
徐々に太陽が消えていく様があまりに”意味深”だったので、人々は自然とストーリを作り出す。
世界中で様々なストーリー(虚構)が生み出された。
アステカ帝国においては神の化身に生贄を捧げるという結論に至る。
現代において、皆既日食が神の怒りだと思っている人はほとんどいないだろう。
人間にはどうしようもないことでも、意味を見出し、解決しようとする姿勢は、立派な様にも見えるし、余計なことをやっている様にも見える。
「昔は科学が発展していなかったから…」と切り捨てたくなるが、人々がオミクロン株に対して、過剰に怖がることや、陰謀論として意味を見出す行為は似ているのかもしれない。
ビジネスマンとしては、情勢を分析するという能力が極めて重要なのだと改めて思う。その認識が間違っているとどんなに努力をしても成果が出ないのだから。
信仰がパドレ(親)を超えた瞬間
テスカポリトカ=「煙をはく鏡」の正体が皆既日食であったことに気が付いたコシモ。
一方のバルミロはアブエリータ(祖母)から伝え聞いた神話だけがアステカに関する全ての虚構であったと思われる。
コシモは思う「パドレ(父=バルミロ)は何もわかっていない…じゃあ一体誰に心臓を捧げているのか?」
興味深いのはコシモはアステカの神々の情報は全てバルミロから教えてもらったにも関わらず、信仰を失っておらず、むしろバルミロを疑うことだ(コシモが信仰心を失っていないのは、ラストで花の戦争を仕掛けていることからもわかる)。
この辺が信仰の興味深い(恐ろしい)所で、神が全てに優先されている。