キャラを演じることについて


古くは学生時代に「エリートでなければならない」と思っていたし、仕事を初めてからは「ビジネスマンとしてエリートでなければならない」となり、果ては起業しても「起業家としてエリートでなければ…」といった有様で、右に左にブレていて、その時々でキャラを演じていたのは、何を隠そう私自身。

キャラを演じることは賛否あり、ある先輩からは「キャラを使い分けなきゃ駄目だ」と指摘をされたことがあるし、別の人からは「キャラで人と付き合うのって失礼じゃない?」と言われたこともある。

有名なセリフとしては、ある演出に異を唱えた「俺はいいけど、矢沢はどうかな?」というものがある。ロックスターがキャラを演じるのは賛成だ。その虚構に熱狂したいわけで、誰もスターが鼻くそをほじっているのを見たいわけではない。

自分においてはどうかと言えば、エリートが持っているような全能性は全くなく、だらしがないし、小心者だ。それでも湧き上がる好奇心とStarWarsという原体験のお陰で、まるでR2-D2の様な人を助けるAIやソフトウェアを生み出してワクワクしたいし、人をワクワクさせたい。

理念とかを語りまくった結果、自分自身がそうなっただけかもしれないが、ビジョンや創り出したい世界に対して嘘はつけないし、キャラを演じては熱を持って語れる気がしない。

たまにビジネスマンでも「俺はいいけど、矢沢はどうかな?」みたいなことを言う人がいて、私自身はしっくり来ない。キャラとポジションでマーケティングをするのは理解ができる。ただ、キャラを演れない私は、仮面の裏の魂のこもった言葉をぶつけ合うというスタイルでいこうと思う。

キャラを演じるべきかどうか、わからないことも多いが、このブログを書いてみて自分の中ではっきりしたことが一つある。それは「ビジョンだけは絶対にキャラで語らない」という価値観だ。キャラでビジョンを語ると、段々辛くなっていくのではないだろうか。

ビジョンには心の底からの熱や言霊を込めるのだ。起業家ならそうあるべきだと思う。