マックマックマック
大阪マック
最近栄のジム行って、帰りにマックで仕事するのが日課?になっている。ふと思い出したのは、2年前大阪にいた頃、よく夜は梅田のロフト近くのマックに行っていたことだ。当時あまりに貧しくて、月の半分は大阪の会社をお手伝いしながら食わせてもらっていたのである。
19:00以降は専ら暇だった。仕事もなかったし、コンサルや制作の単価設定も滅茶苦茶で、事業モデルもないような状態だったので、自身のもどかしさを「何に」「どのように」ぶつければ良いのかが全くわからなかった。
お気に入りのコースがあって、梅田ロフト近くの
- 丸善ブックストア
- 梅田のマック
- 大東洋
がそれであった。たまに大阪城方面に走りに行っていて、それを済ませてからブックストアに向かっていた。
丸善ブックストアが唯一の抵抗
アイディアのなかった当時の自身にとって、書店ほど安心出来る場所はなかった。店内をあるいているだけで、なんだか、何かアイディアが出そうな、そんな気になるからである。自分のフィルターを通してになるが、色々な事業の構想を考えてみたり、興味の惹かれるままにたくさんの本を立ち読みした(もちろんたまには購入)最近はあまり読めていないが、この頃は小説なんかも大量に読んでいた。時には、どんな情報にも心ときめかないこともあり、そんな時は疲弊しているか、インプットはもう十分でアウトプットの時期なのでは?など内省していたりした。
当時齢29歳。三十路を目前に控えていた僕は、同世代の経営者にどんどん先を行かれている現状に悔しいという思いはありながらも、どうすればいいのか、まったくわからなかった。何よりも「こんな会社が潰れても誰も困らない」ということを自身で自覚出来ていたことが辛かった。
当時丸善ブックストアで事業の構想を練っている時間は、振り返ると僕の唯一の抵抗だったと言えるだろう。あの瞬間だけは、経営者や起業家として存在出来ていた気がする。
大阪マックでコーヒーを
丸善のあとは、大概梅田のマックに行っていた。他に行くところがなかった(笑)という理由もあるが、買った本を読んだり、考えをノートPCでまとめたりしていた。
不思議なものだが、高校生くらいまでは騒がしい場所で勉強したり集中したりするのが苦手だったはずなのに、気がつけばノイズがあった方が作業がはかどっている。
長くいたかったから、一杯のコーヒーをチビチビと飲んでいたのだが、最終的にはぬるくなって残していた。
Tallinnマック
これは大阪マックの更に1年前。僕がエストニア共和国のタリンにいた頃の話だ。授業で先生が言っていた。
「もし、チーム内のコミュニケーションや議論が不十分だと思うならこう言おう『ランチに皆でマクドナルドに行こう』ってね。そうすることで賛成派と反対派の議論が起こるから 笑」
それ以来クラスの誰もマックに行こうと言い出すやつはいなかった。しかしある日のオールドタリンで夜遅くまでやっているお店がなく、僕はこっそりマックに行った。なぜだか友人に見つかっては行けないような気がした。
長崎西友マック
時は遡り、Tallinnマックから20数年前である。母方の祖母宅近所の西友には映画館が併設されていて、普段はどうってことはないのだが、夏休みの東映アニメ映画の時期には、朝10時の開店前から小学生が自動ドアを突き破らんばかりの気迫で列を(群れ?)をなしている。開店と同時に全員が2階の映画館へ猛ダッシュをする。4つ上と2つ上の従兄弟に置いていかれないように必死で付いていく。「やった、孫悟空の光る消しゴムが貰えた!」小1の誕生日に無理やり買い与えられたチャゲアスのCDよりも数段嬉しかった。
映画を見終わると、西友内にあるマックに子どもたちだけで行っていた。その時間は僕にとって何にも代えがたい時間だったことを今でも鮮明に記憶している。