匿名の批判は是か非か?(長谷川豊さんのブログを読んで)
SEALDsの奥田さんについて、「勉強不足」と指摘しながらも、彼らを匿名で非難するネットユーザーを激しく非難(そんな奴はネット上から消えろと言及)していた。改めてネットの匿名性みたいなものを考えることになったのだが、果たして匿名で非難することはいいことなのか、悪いことなのかどちらなのだろうか?
目次
匿名で批判することは悪いことなのか?
悪いことではないと僕は思っている。逆説的なんだけれど、悪いと言い切れる理由がないというのがそう思う理由だ。では、長谷川豊さんが怒った理由はなんであっただろうか?
実名で批判するとどう変わるのか?
実名で批判することで、
- 適当な、無責任な批判をすると、自分も袋叩きに合う可能性がある(批判される)
なので適当な発言はしにくい - 上記と同じだが、批判される可能性があるので、勇気がいる
などがあるだろう。長谷川豊さんは自身が実名で情報発信をしているので、批判される側としての憤りがあるのだろう。
ただ、実名で主張すること自体もメリットがあってやっているわけで
実名で情報発信することのデメリットはあるのかもしれないが、その分匿名では得れないメリットもあるだろう。知名度がある方だったら、それだけでたくさんの人に読んでもらえるし、主張が明確で面白かったら論客としての見せ方が出来て、そういう仕事につながるかもしれない。僕も最初は自身の顔出しをしてブログを書くことに抵抗があったが、それはそれで(求人応募の質が変わるなど)メリットがあった。
実名でないが、ネットの有名ブロガーさん達は匿名と言えるのだろうか?
エイチーム時代の先輩で、今Googleで働いているMさんが言っていたのだが、
「赤ちゃんが自分自身というものを自覚する(と言われている)プロセスが面白くて」
「赤ちゃんは”自分以外のもの以外”を自分自身と自覚するんだ」
親指を上手に描くならその周りから描こうみたいな話で、個人なんてものは周りに形作られるものだから、ネット上でキャラ立ちしている人たちは、匿名というくくりでなく、個人として成立していると思う。
キャラ立ちしてれば批判にも晒されるわけで、そういう実名だ匿名だという垣根は曖昧になってきていると思うわけです。
ただです。僕が例えば、ウイスキー好きの「よっしー」というキャラを作ってブログをやるとします。匿名でスタートしたブログが人の衆目を集めるには、キャラも0から作らなければいけないし、コンテンツだけで勝負するしかないので、クオリティや継続性は実名よりも難易度が高いのです。
総論
長谷川豊さんの憤りみたいなものはわからなかくはないけれど、匿名で批判すること自体は悪くないと僕は思う。
ただ(笑)この人のブログは議論を誘発する素みたいなものがありますね。
多分わざとやってるんでしょうけど上手いな〜。
おまけ
「臭いものには蓋を」という言葉はあまり良くない時に使われる言葉だが、例えば「集団的自衛権」などは、そのまま蓋をしておいて欲しかった。戦争というものにリアリティがない状態での議論と、目の前に差し迫った戦闘がある状態での議論では、関心度も質も変わってくると思うからだ。僕は長崎県生まれの為、比較的戦争アレルギーは強い方だ。数年前にブルータスの特集で紹介されていた、三島由紀夫のインタビュー動画や、幕末物の小説なんかを読んだりして、”わかりやすい大義”のある時代は羨ましいな。なんて思ったりしたこともあるが、今はこの「自分で大義を立てるしかない」多様性の時代が平和に少しでも長く続けばいいなと思います。