東京ヒゴロを読んで
3巻で完結する松本大洋の漫画。
出版社を辞めた50代の編集者の物語であるが、一昨日バーで会った人に進められ読んでみた。
01_長作の痛み
長作とは、若い頃の輝きを失ったが、時代や読者に迎合し媚びることで、未だに第一線で活躍している漫画週刊誌の作者である。主人公とは長きに渡って漫画家と編集者という立場でタッグを組んできた。
彼には5年前に別れた妻と現在小学校6年生の娘がいる。
離婚調停書の内容に基づき、子どもとは月に一回だけ会えるのだ。
ある日、子どもとの面会に元妻が「私も付いて行っていいかな?」と申し出る。
3人で食事をしたり、記念撮影をしたり、子どもも喜んで何だか”良い感じ”だった。
場面が変わり、公園の池で長作と元妻が手漕ぎボートに乗って、娘はその辺で遊んでいるという描写になった。
「私、再婚するんだ。あの子もまだ小さいからタイミングは考えるけど…」
という元妻の言葉を受けて、おめでとうと言った長作は、その日酔い潰れて、若かりし頃の3人での日々を思い返していた。
酔い潰れた長作の痛みが自分の中にすっと入ってきた。
電話やメールで「私、再婚するんだ」と言われたら、痛みの度合いは薄かったのではないかと思う。
5年も前に別れた女房と再びねんごろになることなんてあるはずもないのに、長作は期待し、その夢は見事に砕け散った。
きっと娘も期待していた。「3人でボートに乗ろうよ」という申し出に「いいよ。パパとママ二人で乗って来なよ」と娘は恐らく気を効かせていたはずだ。
母親はその発言も織り込み済みで、長作と二人になったときに話をしようとしていたのだろう。
元妻の再婚によって、娘と会える回数が減るかもしれないという恐れもあったかもしれない。
しかし、それ以上に長作は、幸せな家族という希望を持ってしまったから、より傷ついてしまった。
希望があるから傷つくのだ。
しかし、傷つくから人は成長し、作品は生まれる。
02_長作の痛み・再
娘と月に一度の面会中「友達にお土産を買っていかなくていいのか?」という問いを立てると、どうやらイジめられている主旨の回答を得る。
心配するから「ママには言わないで」という娘。
私の解釈だが、長作はそのことを元妻に伝えていないと思う。
本当は言いたいし、問題解決もしてあげたいけれど「言わないでって言ったのに…」と、娘との約束を破ることで、たった月に一度の面会が奪われるかもしれないと恐れたのではないか。
娘をイジめている相手のことが許せないという気持ちや、いつも側にいれない自分に出来ることがあまりにも少ないことに葛藤しながら、仕事に忙殺される姿は他人事とは思えず、胸に迫る描写だった。
03_スナックのママ
主人公の塩澤が、漫画家の三木と飲んでいた。
スナックのママは塩澤に「あんた若い頃の山崎努に似てるわね。メガネ取ってよ」と伝える。
満更でもない表情で、メガネを取る塩澤。
「…あぁ、そうでもないか…」
こういう人っているなと思う。
私は「似てなくても、他に気を遣って言えることあるじゃん」と思うのだが、
こういう素直で、あけすけな人に憧れるようなところもある。
04_高架下で騒ぐ二人
スナックを出たあと、酔った三木が塩澤に「アニマルの一員として叫ぼう」と煽れば
「私は先生の作品をいつまでもお待ちしております!」
「究極の漫画を作ろう!」
「(掛け合いの繰り返し)」
といった具合であった。
こういう、熱さって「力が湧くよな」と思う。
理屈ではなく、正にアニマルの一員として、こういうものが必要なのである。
ビジネスマンが壁を超える時は120%の力を発揮した時だと思うし、
それは一人では無理で、仲間や顧客など人との関係値の中で、
力が湧かない限り出来得ないことなのだと思う。
05_草刈の横顔が似ている
長作のアシスタントで草刈りという男がいる。
優秀で気も利くのだが、この度漫画業界から離れる決断をする。
その横顔が、以前退職した一人のスタッフと重なった。
優秀で、気も利き、理解力があり過ぎるが故に自分の限界まで見定めてしまう様な所もそっくりだと思った。
でも本当は、それは限界ではなかったのだと思う。
限界ではなく壁だったはずだ。
そして、壁を超えるのに必要なのは、合理性ではなく、アニマルなのだ。
君は、本当はもっと凄かったんだ。
06_傘は飛び続ける
漫画の冒頭で、主人公は傘を飛ばしてしまう。
最終巻の巻末で、その飛ばした傘が再び主人公の目の前に現れる。
手を伸ばしてつかむと思いきや、傘ははるか上空にあり、飛び続ける描写で、本作は終わった。
「創造をする苦難の中に…その道程にこそ、喜びがあったのだと」
最終話で塩澤が発した言葉だ。
傘はそのメタファーだと思う。塩澤の道程はこれからも続くのだ。
結果はもちろん大事だ。しかし、過程にこそ人生のダイナミズムは凝縮されている。
起業家として結果を出すことに焦る自分も当然いるが、同時に過程のダイナミズムを酸いも甘いも味わおう。