秋の夜長の読書感想文「カード師」中村文則


取り留めなく書いており、読書感想文というよりは、私の考察や主観も交じりつつ。

純文学×ミステリーと言えばまず思いつく、私の好きな作家さん。闇カジノのディーラーや、占い師として働く主人公がトラブルに巻き込まれながら、殺人・美女・謎・過去などに翻弄されながが物語が進んでゆく。

文章をドライブさせる表現は流石の一言

著者の処女作「銃」を読んだ時、銃という手段が目的化していく「あるある」や、ラストのあっけなさに「人間の恐怖」を感じたりした。銃の中で最も印象に残ったのは、終盤、ある親子を守る為に主人公が男を撃つかどうか迷う描写だ。句点が短く刻まれ、リズムのある心理描写を見て「文章がドライブしている」と衝撃を受けたことを今でも覚えている。

当作「カード師」でも文章のドライブは健在で、カジノのシーンは読んでいるこちらもドキドキした。カジノで命がけの勝負をするというフィクションとしてはありふれた題材を、巧みな文章表現でドライブさせられているのは、さすが中村文則。

魔女狩りという虚構

「カード師」の中ではある教会関係者の手記として、魔女狩りの話が出てくる。

声が聞こえていた人たち

細かな描写は忘れたが、紀元前何万年の人類は日常的に幻聴が聞こえていたという説があるということが物語内で触れられる。現在でも統合失調症の患者などは、幻聴や幻覚に悩まされることがあるが、大昔の人類は、”強いストレス”を感じた際に、幻聴が聞こえていたという。

ライオンから身を隠し、極度の緊張状態にある人間に「今だ!逃げろ!」という声が(本人の脳内でだけ)実際に聞こえていたという説だ。本当かどうかは確かめようがないが、生存確率を上げる為の行動を促す役割として、脳が人類に対して”神の声”を聞かせていた可能性は否めないとも思う。

この”神の声”は原始宗教と非常に相性が良かったらしい。世界中で預言者が神託を行い、また周囲の人間も同様に神の声を聞くという”奇跡”を体験していた。

紀元前2000年頃に文字が発明されたことで事態は一変する。前頭葉や大脳新皮質が発達することで、人類は次第にこの”神の声”が聞こえなくなったようだ。

※脱線するが、私は卑弥呼とかもそういう症状が残っていた人だったんじゃないかと思った。

声が聞こえなくなった人たち

時は流れ、16世紀家の悪名高き魔女狩りがヨーロッパでピークを迎えていた。魔女が悪魔とまぐわった結果、その周囲で不幸が起きる。だから魔女を火炙りにする、というものだ。

現代の視点で見ると非常に野蛮で、目を覆いたくなる状況だが、ポイントは大衆が熱狂的に支持をしたことだ。

人類は集団を作る過程で、まず共感能力が発達した。目の前の人が怪我をしているのに、知らんぷりでは、集団として機能することができない。「大丈夫?」というコミュニケーションを取って、助け合うことで、生存と生殖確率を上げていた。

集団が大きくなると、ルールが出来、ルールを破った人間には罰を与えるようになった。人に罰を与えている時の脳波を測定すると、脳の中で快楽を感じる部位が活性化するらしい。進化の過程で人は罰を与えるという快楽を覚えてしまった。

ルイ16世しかり、赤報隊のさらし首しかり、過去には処刑がエンターテイメントであったのだから、この話もなんとなく頷けてしまう。

大衆が熱狂したのは、魔女に罰を与えていたのかというとそう単純なものではない。手記の中で教会の権威として魔女を火炙りにした神父の話を要約すると以下の様な感じだ。

ペストも流行ってこんなにひどい時代なのに、信じているのに、救われない。奇跡は起きない。当然神の声も聞こえない。大衆は「悪魔っているんだよな」「悪魔をやっつけてくれるヒーローがいてくれたらいいな」「奇跡が起きてこの辛い状況を解決して欲しい」と思っている。だったら神に代わって私が奇跡を起こしてあげよう。人々の「こうだったらいいな」という虚構を、魔女を火炙りにすることで、具現化してしまおう。

大衆の虚構は具現化され、人々は魔女狩りに熱狂した。

コロナ疎開男性の悲劇

カード師は2021年に発行された書籍で、朝日新聞で連載されていた内容だから、コロナというタイムリーな内容も反映されている。東京から”コロナ疎開”した男性が放火された。インタビューを受けた町の人が「コロナって目に見えないから、あの人達が引越してきた時に、まるでコロナがやってきたように皆思ったんですよ」という架空のコメントが載せられていた。この話の本質は、魔女狩りの話と同様「コロナを退治したい」という人々の虚構が”東京からの引越し人”によって具現化されたことだ。

ちなみにこの話は完全にフィクションというわけではなく、実際に起きた事件を元に創作したそうだ。

平和な時代のリーダーシップ・有事のリーダーシップ

ここから読書感想文ではなく、上記虚構の話などと絡めて単に私が思ったこと。ある有名企業の創業者が、こんなことを言っていた。

有事のリーダーシップは得意だけど、会社が大きくなった後のリーダーシップは苦手なんですよね。聞いた話だけど、有事のリーダーシップは100人に一人。平和な時代にリーダーシップ張れる人は10,000人に一人と言われてるそうです。

確かに、会社経営でもピンチの時は大変だが、一方マネジメントとしては「ピンチだから皆んなで頑張ろう」で済んでしまうことがある。いいか悪いかは置いておくが、共通の敵や大義があった方が集団はまとまるし、有事の時はその共通認識が醸成されやすい。

コロナが蔓延する2021年は正に有事であろう。一方で魔女狩りという虚構の完成方法は「平和な時代のリーダーシップ的」なのではないかと思っている。

強烈な虚構を、科学的根拠などなしに、たくさんの人に信じさせ、熱狂させられる手腕は、良いか悪いかは(完全に悪いと思うが)置いておくと、強烈な大義を掲げるカリスマ経営者の姿にも重なる。

魔女狩りという忌々しい歴史から、人間の本性を炙り出し、突きつけてくる姿勢は、著者らしいと思う。

まとまりないが、感じたことをつらつらと。以上。