何故、怒ったら負けなのか
ある上場企業の経営者の方が「怒ったら負け」ということを言っていた。
従業員はもちろん、外注先含め全てのステークホルダーに対してということだった。
実はこの言葉を2度聞いているのだが、1度目は「そうなんだ」とある種他人事の様に思ったが、2度目は腹落ちするレベルで響いたし、納得してしまった。根拠もなく雰囲気で納得してしまうのは自分の悪いクセなので、”何故怒ったら負けなのか”ということについて考察してみる。
ふと思い出すのは「怒りは第2感情で第1感情は悲しいであるから、部下に対して怒るより、悲しいと伝えた方が効果がありますよ」という産業カウンセラーの言葉だ。怒ると損をしますよということだから、ちょっとしたヒントにはなるが、この概念だけで「何故怒ったら負けなのか」を説明するには不十分だと思う。
「怒るやつはアンガーマジメントが出来ない駄目なやつだ」と断罪するのは簡単だが、生物として怒りという感情は必要であったから存在しているので、まずその辺の整理から始めてみる。
怒る道理のあれやこれや
赤ん坊の理屈
赤ん坊は泣くことで不愉快だということを伝えている。ミルクが飲みたいのか、おむつを変えて欲しいのか、寝れないのか、熱があるのか、遊んでほしいのか、特に理由がないのか、とにかく泣いて、報酬が与えられなければ怒ることでコミュニケーションを取る。
これは微笑ましいことで、文句の付けようがないが、人は皆怒ることからコミュニケーションをスタートさせている。
クレーマーの理屈
クレーマーに対応するコストは(精神的にも時間的にも)大きい。その為企業側はその負担を消すために、優先してクレーマーに対応することがよくある。ただしこの2者間では長期的で健全な関係は望めない。
赤穂浪士の理屈
「親分が処刑され、お家まで取り潰されて許せない」世の理不尽への怒りであり、復讐の怒りである。そして日本人が好きな物語である。
衝動という理屈
浅野内匠頭もそうだし、羅生門なんかにしてもそうだが、多くの文学作品で、罪を犯すシーンは衝動的に描かれている。怒りとはそもそも衝動的であるということも一つの道理であろう。
軍隊の理屈
軍隊は指揮命令系統が全てで、将校以外には柔軟な判断というものは求められない。兵隊は言うことを聞けば良いのだ。怒りでマネジメントすると、怒られたくないスタッフが生まれる。怒られないことの優先度が高いから、ルール外のことや、柔軟に判断することを避ける傾向にあり、現代の企業経営においては向いていない。ただし兵隊には向いている。
外交の理屈
占領下でのGHQとの交渉には、多くの日本人が苦渋を舐め怒りを以て現在の権利を勝ち取った歴史がある。一方で松岡洋右が国際連盟を脱退した時にも大いに怒っていた。
夜警国家の理屈
ちょっと油断すると強盗に財産を奪われる環境であればどうだろうか。”警”が間に合わない時、自分や家族の身を守るのは自分自身となる。「怒ったら負け」ということとは程遠い環境かもしれない。
原始時代の理屈
猿の惑星とそうは変わらない。マウンティングの世界であり、文字通り力が物を言う。この頃から喜怒哀楽の「怒」は欠かすことの出来ない活動であっただろう。
炎上の理屈
妬み嫉み、罰を与える快感と言ったところだろうか。こうして見ると、怒る道理というのは確かに存在している。というか書いているとキリがない。それくらい怒りとは人間にとって普遍的なものなのだろう。
怒らない道理
怒りのコストとリターン
怒りのコスト
- 脳のメモリが取られる
- 疲れる
- 余計イライラする
- 怒りの正当化バイアスが働き論理性が下がる
怒りのリターン
- 怒っても欲しかった成果は得られない
- 不確実で再現性もない。ギャンブル的
怒りの道理はあれこれ思いついたが、怒らない道理は、極めて整然としている。
「怒ることは良くないこと」を証明しようと思ったが、逆に「怒ったら負け」こそが、前述の経営者を非凡たらしめている理由だと思うに至った。
“悪意なき悪”や”悪意に満ちた悪”に怒りは対抗できるのか?
悪意なき悪とは(言葉は悪いが)俗に言うアホのことで、悪意に満ちた悪とは詐欺師を思ってもらえばよい。それらに怒りで対応できるかどうか。僕は否だと思う。のれんに腕押しという言葉があるが、そんなイメージで怒るだけ損だ。
人類はその歴史の中で怒りまくって来たわけだが、こと経済活動の中において、怒るということは成果の不確実性が高く(成果が出ない側の確率の高い)ギャンブルとなる。
子どもに怒らないかとか、プライベートで一切怒らないとかまでは至らないが、経済活動においては「怒ったら負け」という座右の銘を拝借することにする。