(4)選考が大荒れした直木賞受賞作「テスカトリポカ」を読んで


その他印象に残ったことなど。

「わたしが求めるものは憐れみであって、いけにえではない」とはどういう意味か、行って学びなさい

師匠パブロが必死に伝え、キリスト教が嫌いだと言うコシモを目覚めさせた、聖書の一節。

元々は旧約聖書のホセア書の言葉だそうだ「わたしが喜ぶのは愛であって、いけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない」

憐れみは「愛」という解釈をする。

父の古びた聖書を読んでいたパブロにこの一節が突き刺さった。臓器売買ビジネスに直接こそ関わっていないが、その全貌を知り、罪の意識にさいなまれていたからだ。

この言葉を伝えられたコシモは、結局「シェルターに行って学び」いけにえを救い出した。

何故最後は花の戦争だったのか?

コシモの理屈を整理すると、

  • (1)祭祀には生贄が必要
  • (2)順太は救う
  • (3)代わりの生贄が必要
  • (4)それは自身かパドレがなれば良い
  • (5)花の戦争でどちらかを決める

こんな順番であろうか。

何故物語の最後はアブエリータの話なのか?

バルミロは最後の瞬間に「全てを理解した」と感じている。本当に生贄になる為に、様々な出来事が起こり、はるばる日本まで旅してきたと思っているならば正直「狂っている」と思った。

しかし、物語の最後のアブエリータの話はこう締めくくられている「おまえたちが見上げるのは、ご先祖様がテノチティトランから見上げたのおと同じ月だよ」

アステカと同じ月が現在も浮かんでいる=アステカの神々は今も健在だよ

という隠喩で締めくくられているのであれば「狂っている」と思わさせられたバルミロの解釈は正しいことになる。そしてアステカの恐るべき神の影は今後もチラつくというダークエンドなのかもしれない。

あまりにも長い太字箇所

P219から6ページにわたって(またP418からも2ページ)全て太字に。バイオセンチメンタリティーが著者の発明でり、そのことが物語のストーリーに大きな影響をもたらす為と推測

その他

  • マフィアのビジネスで「競争はなくあるのは独占だけだ」これはビジネスの心理だと思う。
  • ソモスファミリア(我々は家族だ)この言葉の語感が気持ち良く思わず口ずさんでしまう。