青春
小学4年生の甥っ子に勧められて、辻村深月「冷たい校舎の時は止まる(上)」を読む。
文庫本の帯には「息苦しい程の青春」と書かれていた。「アラフォーなのに大丈夫かな?」と読み始める。
ミステリーなので、謎を解くような気持ちで読み進めるものの、出てくる心理描写が本当に帯通りであった。
青春時代の淡い思い、悔しさ、自分自身に対する葛藤、恥ずかしさなどが思い起こされ、締め付けられるような気持ちになった。
待つなんてAmazonじゃない
後半文章のテンポもグッと上がり、すっかり虜になってしまった私は、下巻をAmazonでポチろうと試みる。
ところが、物流が混み合っているせいだと思うが、到着が5日後の7月18日と表示されていた。
「どうしても週末に読みたい…近場の書店にあるかな…」と思い、本日サウナ帰りにらくだ書店に寄った。
この書店の取り柄と言えば、駐車場があって、22時まで利用できるカフェがあり、24時まで空いていることだ。決して品揃えが良いわけでもないが、居心地が良い。
今では大抵の大型書店に設置してあるような書籍の検索機もない。
店員さんに本の在庫を聞いても良かったのだが、時間に余裕もあったので、文庫コーナーを隈なく探すことにした。
「そ、た、ち、つ、つ、辻村!」といった具合で出版社ごとに著作を探す。
「やっぱりないよな」と諦めかけたその時、講談社のコーナーに「冷たい校舎の時は止まる(下)」を発見する。
やったー!あったー!
小躍りもしたくなったが、私の顔はしばらくニヤけていたであろう。
便利だからAmazonを使うし、便利だから書籍の検索機を使うのだが、それらではこんな気持は演出できない。
たまたまその場所にあった本をして「俺ってラッキー♪」と喜んでいる。
男女の出会いさえ、システムや条件でマッチする時代に、こうした偶発性な射幸心すら、人間っぽい感じがして安堵する。
青春
昔、坂口安吾のエッセーを読んでいて「青春が帰ってこないのは切ない。しかし(坂口安吾の様に)いつまでも青春が去っていかないことも中々考えものである」といったニュアンスのことが書かれていた。
どういう理屈で坂口安吾は青春が去らずに困っていると述べたのかは忘れてしまったが、ふと「羨ましいな」と思った。大人になった私は、青春が二度と帰ってこないことを理解している。
ただ、ちょっと青春について考えてみよう。”青春現象”とは一体なんであったのか?
以下のように定義してみる。
青春とは、初めて起こる出来事や、初めて接する感覚に対して、上手に逸らすこともできず、ただ真っ直ぐに不器用に受け止めながらもがいている様である。 受け止め方がわからないので、”それ”をただ撫で回したり、過剰に反応したり、ぐちゃぐちゃに壊してしまったりするけれど、その過程で生まれる、淡い思い、悔しさ、葛藤、恥ずかしさ、締め付けられるような思いそのものが個々人における”青春現象”である。
…あれっ、今だって上手に逸らすことなんかできてないや。
ただ真っ直ぐに受け止める、転んでも1000回起き上がる。その過程で生まれるあらゆる葛藤や感情を酸いも甘いも味わう。
坂口先生、私もどうやらまだ青春の中にいるようです。