パロアルトの熱・エゴ・ちんどん屋世界を変える


Mouseflow事業のパートナーである、というかMouseflowのCEOであるLasse氏とマーケティングマネージャーのTrent氏が先月アメリカのパロアルトを訪れ、その熱気にエキサイトが止まらなかったと語っていた。

その話を聞いて僕はアメリカのベンチャーマインド、シリコンバレーへの憧れを初めて明確に描かずにいれなかった。

「アメリカに行ってみたい」と。

アメリカのプログラマーへの大いなる誤解

というのも、その数日前に税理士さんの紹介で、ある日本人経営者の方とアメリカ人経営者の方と話をする機会があった為である。

印象深かったのは、何故日本人はオフショア開発において、人件費ばかり考えて、インドやバングラばかり使うのか不思議だ。ということだ。

知っている方は知っていると思うが、アメリカ人プログラマーの平均年収は高い。多分日本人プログラマーの平均年収の2倍以上だろう。何の違いかと今まで疑問に思っていたが、「スキルレベルが全く違う」ことに原因があるらしい。

チームビルディングが普通の日本の開発環境に対して、米国では一人ひとりのプログラマーがカバーしているスキルが広く、またクレイジーな程よく働くので、生産性が全く違うとのことだ。一人のプログラマーが企画・コーディング・セキュリティーに至るまで対応が出来る。

お会いしたアメリカ人の方(ちなみにこの方、世界的に有名な方です)も14歳で初めてサービスをリリースした経験があり、大卒の新卒などは、相当な即戦力であることが普通なようだ。

「facebookだって2人で1週間で作ったんだから」

だから「たった一人でも、1週間でも世界は変えられる」とも

シビレましたよ。マジで。

また、ベンチャーキャピタリストとして、インスタグラムに投資も行った際は周りからクレイジーだと批判されたらしいのだが、「ベンチャーはリスクテイクしてなんぼだろ?」というカルチャーが強烈に伝わってきて、何というか、「これなんだよ。僕が求めていたのは!」と一人興奮。

2つの偶然が重なれば、その根源地である、西海岸に思いを馳せるわけである。

初めてのヨーロッパで感じた居心地の良さ

思えば初めてヨーロッパに留学した時も、率直な感想は、「居心地がいい」というものだった。

自分が変な奴であり、その扱いを自分自身持て余していたところ、非常に自然に受け入れてもらって、救われたような気持ちになった。

2003-2005年くらいの日本におけるベンチャーブームの申し子である僕は、その後の数年とても嫌な思い出がある。ブームの期間はチャレンジする風土・思想がもてはやされていたのに、2006年のライブドア事件以降、まるでそれが、悪いことの様に扱われだしたのだ。

大学を中退したことも、起業志望であることも、本当にたくさんの人にバカにされたし、唇を噛み締めた経験は10回-20回ではきかない。

「若いやつが調子に乗って、地に足もついてないのに、何を言いやがる」ということだ。

思えば違和感は小学校くらいからあった。

1年生:先生は「間違ってもいいから皆どんどん手をあげて答えましょう。間違うことは恥ずかしいことじゃないですよ」各々の黄色い「ハイ」と共に、どの手も下がることはない。

4年生:授業参観時に元気よく手を上げて盛大に間違う。クラスメイトの「何やあいつ」の視線と共に、家に帰った後母親に、「何故わからないのに手を挙げたのか?」と叱られ、とてもふてくされたことを覚えている。

こんな頑固なマイノリティーはそりゃー日本では暮らしにくい 笑

思えば何度かあった違う道

天邪鬼である。もう小さい頃から。

2005年当時ベンチャーに興味があるのに、最初はITを敬遠し、やっとIT畑に来たと思ったら、シリコンバレーでなく、北欧に行ってしまう僕である。でも最終的にはやっぱり「シリコンバレー」に行きたくなるわけで(笑)必要性があるまでメジャーどころを避けてしまうのはいかがなものかと思うが、北欧の名誉の為に言っておくと、ITがホットなのは、シリコンバレー・イスラエル・北欧というのが世界の定説である。

「我々は多かれ少なかれ生きた証を刻みつける為に生きている」という言葉を先般聞いて「なるほど」と思ったりした。生命が脈々とDNAを複製し続けてきたのは正にそういうことであろうし、1人に記憶されるより、100人に記憶された方が「証」という意味では強烈である。これらは正に個々のエゴであり、エゴという言葉は一般にあまりいい意味で使われることはないが、人間なぞ、多かれ少なかれエゴが社会性を着て歩いているようなものだから、エゴなんてあって当然なわけである。

僕の場合、主に元上司達や、同僚が会社経営をしており、たまにニュースで見かける。何十億資金調達したなんていうニュースを見ると、凄いという思いと共に、自分はやっぱりエゴ野郎だと改めて思う。皆優しいのである。チームへのjoinを申し出てくれる人がいたり、それは会社員の時からそうで、僕を引き上げようと手を差し出してくれた人たちがいた。彼らと共に、彼らの為に素直に問題解決を行っていれば、今とは違う道があり、例えば経済的な意味での成功などについては近道だったのだと思う。

ただし、ご承知の通り、我が天邪鬼たるエゴはそれを良しとせず、ちんどん屋宜しく、起業なんかするわけである。「ぎゃあぎゃあ」とわめき散らすこちらもエゴであれば、先輩方のニュースも僕なんかからすると、まるで虎か龍がうねりながら、エゴの火の玉を吐き出しているように見える。

どうせ最後はおっ死んでしまうわけで、皆才能の限りを尽くして、この世界でエゴをこねくり回して遊んでいる。

負けるもんかと、ちんどん屋。健気過ぎて涙が出そうであるが、いつか世界を変えるかもしれない。

その場合のタイトルは「ちんどん屋、世界を変える」である。

エバーノートCEOフィル・リービン

1つだけ、起業家を志すまっとうな理由がある。それは「世界を変えたい」という思いだ。

初めて聞いた時に、正直「おっ、おぉ」と思った。何だか格好いいけど大それたことだなと思ったのだ。しかし数ヶ月後に僕がこの言葉の真意の一旦に触れる。

前述の日本人経営者の方とアメリカ人経営者の方と食事をしている時に、皆ワインで酔ってはいたのだが、「古い産業の体質や構造を変えていきたいし、変えることが出来るんだ」という言葉に触発されて思わず

「そういう言葉を聞きたかったんです。僕は世界を変えたい。その為に会社をスタートさせました」と出た。

日本語では中々言えないが、思わずそして自然に出たのである。

僕は普段起業した理由を聞かれた時に「サラリーマン向いていなくて、仕方なくやりました。他に選択肢がなかったんです」と答える。もちろんこの答えも嘘ではない。でも本当は「世界を変えたいんです」とエゴ丸出しで言いたかった。言いたかったのに、恥ずかしくて言えなかったのである。

そして返ってきた言葉は当たり前の様な「Yes let’s do this. In five years.」である。

そりゃー酔っ払うわけである。

「それ」が当たり前である起業カルチャーに触れた時

僕は最近アメリカのベンチャーマインドの一旦に触れている感覚がある。そのカルチャーが自分の中で当たり前になった時に、自身の考え方や判断が変わることが容易に想像できる。

現時点でも事業展開の考え方は変わってきており、スケール別に事業アイディアも日々ポコポコ出ている。有り難いことに、素晴らしい出会いのお陰で、どれも不可能な話ではなく、実行可能な話だ。人生面白いなとつくづく思うrecently。

あとは、スピードである。

吾こそはちんどん屋。誰よりも早くコインを投げ続けるのみ。