2018年GW読書感想文
読んだ本のアウトプット用ブログです(あまりまとまっておりません。の割に批評っぽいことも書くので「です。ます調」で書きます)
01_ローカルメディアの仕事術(影山裕樹)
たまに相談も受けますし、自身でも興味がある分野なので思わず買ってしまいました。
「ローカルメディアはマネタイズ出来るのか?」
というテーマです。
- 名古屋に拠点があるということが理由でしょうが、ローカル媒体のニーズは、クライアントからもちょくちょく聞かれます。「f1層の女性向けだとチークとか、ケリーくらいですかね」と雑誌名を挙げていました。無論テレビも新聞もあるので、最も良いのはTVだと思いますが、クライアントからしたら「そんなのわかってるよ」という分野なので「他にないのか?」という意味で聞かれていました。
- かく言う私も、起業したての頃ローカルメディアを運営していました。東海3県の産院に設置していた「マタニティランキング」です。その経験を元に言うと、ローカルメディアは、マネタイズの難易度が高いと思いました(1年ぐらいしかやってなかったので何とも言えないですが…また、メディア自体がマネタイズが難しい分野ではあるので1年くらいでは判断出来ないですね…今思うと)
- Webでメディアを作る際ですが、Webの良さは一気に全国展開出来る点にあり、ローカル特化することでマーケットのボリュームが小さくなってしまいます。
- エリアとの掛け合わせワードは、SEOの分野では、戦略的に動きやすく、強力なライバルもWebにはあまりいない。
などと、色々思うところがあり、どんなアイディアを持っているんだろう?
と純粋な興味で本書を手にしました。
マネタイズについて
は正直あまり触れられていませんでした。また印象としては、「上手くやりくりする方法はあるけれど、中々スケールはしない」というものでした。
※エリアを切ることでマーケットボリュームは制約されるので当たり前といえば当たり前なのですが…
次項で触れますが、「コンテンツ作成」という点については、作り手側のニーズがありそうだなと感じました。
ローカルメディアの意義について
ローカルメディアは「まちの再編集」を行うと述べられています。
このフレーズは正直「いいな」と思いました。「今までたくさんのメディアやライターに紹介されて来たタウン情報を独自性もなく、改めて紹介して何になるのか?」というネガティブな疑問への一つの回答だからです。
今日実家の長崎から帰ってきましたが、年に1〜2回しか帰らない、僕ですら「まちの再編集」には興味があります。
「観光資源として、こういう野岳湖(公園)ってヨーロッパの人に受けるだろうな」
とか
父の実家(佐賀)も母の実家(長崎)も何代か前は和菓子店を営んでいたのですが、それは長崎から小倉にかけて明治時代当時「シュガーロード」という砂糖の運搬をするルートがあり、その道すがらで、砂糖を仕入れていました。
例えば、「『シュガーロード』というテーマで特集を組んでみたいな!老舗和菓子店の情報や、最新スイーツの情報を織り交ぜたいな」とか、色々浮かぶわけです。
これは個々の持つ情報や、フィルターなど総じた編集能力によって、様々なコンテンツを作ることが出来ます。
コンテンツの質は結局の所、ライターの熱意や質によって差が出ます。作り手側が本気になる土壌がローカルメディアにはあると感じました。
まとめ
「ローカルメディアはマネタイズ出来るのか?」
というテーマについて、はっきり「こうだ」とは言えないのですが、学ぶ点はあると思いました。
02_英語のこころ(マーク・ピーターセン)
英語の言い回しストックを増やす為に読みました。
variety と diversity
どちらも「多種多様の」という意味ですが、「たくさんのキャンディーの種類」の際はvarietyを使い、「考えの多様性を受け入れる」の場合はdiversityを使います。
老人力の表現
- golden years
- twilight years
などを使って、リスペクトを表します。
食事で使いそうな表現
- 美味そうだ…mouse-wartering
- ジューシーで美味い…finger-licking bra bra
心と頭
In my heart I was very sorry for the separation but in my mind I knew we need to move on.
辛い別れだったが、頭では先に進むべきと理解していた。
使いそうな、お洒落な言い回し
Rather than holding others in punishing, it was that he held himself punishing.
他人を罰するというよりも、自分を罰しているようであった。
擬態語は”日本語らしい”表現
擬音語は、英語でも日本語でもありますが、確かに英語で擬態語はほとんど聞いたことがなく、日本語らしい表現なのだと感じました。
死を表す婉曲表現
名台詞など
- I do not fear death. I had beed dead for billions and billions of years before I was born. And had not suffered the slightest inconvenience from it.(マーク・トウェイン)
- Each night when I go to sleep I die. And the next morning when I wake up, I am reborn.(マハトマ・ガンディ)
- Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know , because in that other room I shall be able to see.
直接的なdie deathは避ける傾向にあります。
- She had gone.
- He passed away.
バカの壁(養老孟司)
多分10年ぶりくらいに読みます。何となく気になって文庫本を購入しました。
今読むと「そうだそうだ」と思うことも多いのですが、当時は衝撃的だったことを記憶しています。
現在の自身が参考にした方が良さそうなこととしては、
- 「わかる」=「実行出来る」と(知行合一的に)定義した方がよく、ディレクターがスタッフに物を教えられないとすれば、「わかっていないから」である。また「わかる」というプロセスには必ず「実行する」という工程が伴う。
- 人が情報をインプット(x)して、アウトプット(y)する際に、aという係数がかかる。
ax=y なわけだが、このaが0=ゼロ だと何にもアウトプットが生まれず、aが∞だと、原理主義的になり、極論に達する。今で言うと、コンテンツの生産体制作り、新しい事に取り組む時にどうしても、この原理主義的な姿勢になってしまう自身がいる。任せる→クリティカルな問題に気づけるように工夫する→試行錯誤を繰り返す方が良く、最初から完璧を目指すと物事が進まない。 - 「現代人は『体の使い方』を忘れている」と指摘をしていた。アウトプットが足りないという意味もあれば、体を動かす機会が減っていることを指していると思う。この項目について上手に説明することが出来ないが、何か引っかかったので、書き留めておく。
新・冒険論(角幡唯介)
「冒険とは脱システム」というコンセプトに引かれて購入しました。
有名な冒険家「本多勝一氏」の冒険の定義が以下になります。
- 明らかに生命への危険を含んでいること
- 主体的に初められた行為であること
筆者は、現在のエベレスト登山は「マニュアル的で、冒険ではない」とこういう論旨なのです。
そして、「本物の冒険」の素晴らしさ(人類史上の価値や、面白さ)に触れています。
ただし「現代のスポーツ化した冒険を一刀両断」という内容は読んでいて違和感を覚えました。
- 昨今の登山ブーム
- テレビ番組の企画「世界の果てまで行ってQ」イモトのエベレスト登山
などについて、「あんなものは冒険じゃない!」という否定的な感情が表されていましたが、「構成上いるか?」と思ったわけです。
登山も職業で行う一部の人もいれば、趣味で行う人もいるわけですから、あえて否定する理由がわかりませんし、テレビ番組の視聴率が良いのは「人が見たいものを見ているから」に他ならないのです。
筆者の定義するところの「冒険ならざるもの」を排除することで、「せっかくの本の価値が下がったな」と思いました。編集の問題だとは思いますが、「本物の冒険の素晴らしさ」にフォーカスした方がよりよく、排除するなら、その排除する論旨に説得力がいると思うのです。「冒険ならざるもの」がもてはやされているのが「気に食わない」と言った風に見えてしまい、それは、居酒屋とかバーとか講演会とかでやってくれと思うわけです。
そんな場に出くわしたら「ですよね!」ってちゃんと言います(笑)