ニュースについて私はこう思いました(1)
Yahooニュースで、ある女性インフルエンサーが炎上したことを知った。自身のSNSで「食事を奢らない男性はありえない」みたいなことを呟いたらしい。直感的に違和感を感じた。こんなことで炎上するのかというか、このテーマに正解や不正解を議論する余地なんてあったけな。
こんなもんファッションの問題でしかないだろう。
1.ファッションの問題
だと思ったわけである。ファッションとはすなわち、カッコ良いかどうか、好きか嫌いかが論点であり、正しいかどうかは問題ではない。このインフルエンサーは炎上して謝罪したわけだが、謝罪とは正しくないことに対して行うものであり、その点に違和感を感じた。
あぁ、ファッションの問題だから炎上したのか
私のスタンスについて(若い頃は特に)女性には奢るべきだと考えていた。そこには何の哲学もなく、ただただモテたかっただけだ。奢った方がカッコ良いはずだと思っていたのである。近年この点については特に何も思わなくなったが、この考え方自体は、自身の若い頃のファションと言って差し支えないだろう。革ジャン思想と呼んでみる。
一方で「男が奢るべきだなんて言う封建主義的な思想は、女性を付属品や従属品としてみなしているようで嫌いだね」という考え方をカーディガン思想と名前を付けてみる。革ジャン思想も、カーディガン思想もどちらが正しいということはない。そこには個々人の好き嫌いのみが存在している。
ところが、急にある一人の女がやってきて「カーディガン思想の奴はダサい」と声高に叫んだらどうだろう。革ジャン思想の人は「まぁまぁ(俺はイケてる)」となり、カーディガン思想の人は「はぁ、ふざけんな」となるに違いない。
あぁ、ファッションの問題だから炎上したのか、と気がついた。
ファッションに関するコミュニケーションについて、
- あなたのファッションは好き…これはOK
- あなたのファッションよりも、私はこっちのファッションの方が好き…まぁOK
- あなたのファッションは嫌い…NG
- あなたのファッションはダサい…超NG
上記の様な感じではないか。ファッションの問題であればあるこそ、あなたのファッションはダサいと宣言すると、喧嘩になる。つまり炎上するのは当然だということになる。
2.コンプラ時代の断定とリーダシップ
時事ネタから派生して、上記の真面目なテーマについて考えてみたいと思う。多様性の時代と言いながら、インフルエンサーやYoutuberなどは極端な立場を取りながら、支持を集めているきらいがある様に感じる。
「私はAが好き。Bは嫌い」というスタンスには、発言に責任を負うというリスクを伴うものの、A好きからは熱狂的に支持されリーダシップを帯びることになる。好き好んで責任を取りたがる人は中々いない。責任を伴う決断や断定を行う人がリーダシップや影響力を持つことはもっともだなと感じる。
一方「私はAが好き。でもBのこういうところも好き」という多様な価値観に理解を示している文化人的なスタンスは、決断を生業とする経営者においては、優柔不断な様にも感じられる。リーダーシップには決断が必要だが、テーマを間違って決断したり意見を述べると、炎上したり求心力の低下を招くというリスクがあるのだ。
ビジョンからブレイクダウンする。ファッション問題に首を突っ込まない
事業に関する決断について、大半はビジョンや行動規範からブレイクダウンすれば実現できるはずなので、改めて全身に叩き込んでおこうと思う。一方でファッションの問題(好き嫌い問題)については基本的に首を突っ込まず悪目立ちしない、どうしても議論したければ友達とやるくらいに留めておくことが(いささか寂しいが)コンプラ時代の経営者において、必要なスタンスかもしれない。