僕はノートを最後まで使い切ったことがない
【1】
ということが、一種のコンプレックスであった。
一学期の始めの2週間までは気合を入れて書くものの、その後が続かない。
3週目からは字が汚くなり、4週目にはノートの完成度が低くなったことに辟易する。
「”完璧なノート”が作れないのなら、書くのを辞めてしまおう」
子どもの頃から何度思ったことであろうか。
【2】
何かをコツコツと続けることが苦手だった。
ノートの綺麗な子は凄いなと思っていたが、一方でそのことと成績の良し悪しに因果関係がないことはぼんやりわかっていた。
テストの点数が良ければいいんでしょと、その傾向が改善されることは一切なかったのである。
【3】
傾向は続く。
25歳〜29歳の間に、数え切れないノートとペンを購入した。
書店で事業のアイディアを探っては、何某かの本を買う。
構想をまとめたら面白いんじゃないかとペンとノートも買う。ワクワクする。
書店付近のマックだか、コメダだか、ファミレスだがに1〜2時間陣取って、その場限りで二度と使うことのないノートにあーだこーだと書き連ねる。
こういう自分が嫌であった。
一貫性がないような自分。
ワクワクすることが目的化し、他に興味の持てることもない暇人な自分。
最後までノートを使い切らない自分。
【4】
30歳を境にほとんどノートは買わなくなった。
【5】
今日8年ぶりにノートとペンを買う。
またワクワクしてしまった。
今日以降二度と使わないかもしれない。
ただ、心境の変化で「それで良い」と思った。
ワクワクでも良い。
ノートについて思い返す機会でも良い。
そのノートを通じて自身が何かを得ることが出来れば「十分ではないか」と。
【6】
何故僕はノートが好きであるか。
それは、真っ白な余白も何もないスペースこそが、増量されたワーキングメモリであり、新品のノートは常に自身をフレッシュにしてくれる。
その空間的”余白”が僕にインスピレーションを与えてくれる。
“余白”はいつだって大事だ。空間的なもの、時間的なもの、金銭的な”非”逼迫度。
何故僕は、最後まで使い切ったことがないノートにコンプレックスを持っていたのか。
それは、途中で投げ出されたノートが、最後までやり切れない自身の象徴に感じられたからだ。
【7】
情熱的なビジョンを掲げて
自ら機会に手を挙げて
コツコツと行動する
ことが成功の王道だとすれば、僕は圧倒的に手を挙げることが得意である。
しかしコツコツが苦手だ。ノートを使い切れないように。
定めたビジョンは何度も何度もマイナーチェンジ含め書き直している。使うノートがコロコロ変わる。
【8】
ここ最近「粘り強い経営」というテーマを研究している。
そしてAPOLLO11に取り入れようとしている。
企業や起業家は何は変えてよくて、何を変えてはいけないのだろうか。
【9】
自分なりの方針を定める。
1.ビジョンに対して、コツコツとした行動を積み上げる
「ネット集客で困っている人に、ソフトウェアを提供する。その結果顧客は、”自社でネット集客が出来る”ようになる」コツコツした行動の積み上げはこのビジョンからズラさない。企業としてビジョンに対して真摯に向き合う。
2.手を挙げ続けることは変えない
現在の事業領域を超えたアイディアに躊躇することがある。
こういうものはやるべきなのだろうか?集中と選択に則って辞めるべきなのだろうか?
僕の答えは「出来る範囲で実験し続けるべき」だと思う。
集中と選択のメリットは、限られたリソースのパフォーマンスを最大化できることだ。
今ならわかるがもう一つある。それは自社が「何屋さん」かわかっている方がステークホルダー全員に伝わりやすく推進力を生むからだ。
3年くらい前に、超大企業の2代目がお問い合わせフォームから急に我が社に問い合わせをしてくれて、面談したことがあった。彼はビジョンについて「事業ドメインを拡大するもの」と言い切った。
当時「なるほど…?」と思ったが、今は結構腑に落ちている。
手を挙げ続けたら、事業領域が広がって、現在のビジョンが役不足になる。顧客にも従業員にも伝わらなければ事業が後退する。だからアップデートするのだ。
マーケティング上「絞る」ことは訴求力を増す。
しかし「絞る」からと言って「それしかやらない」とはまた別の話である。
企業生存戦略としての「手を挙げる」は僕は正しいと思う。
3.情熱的なビジョンは上手にアップデートを続ける
事業ドメインが増える場合は、全体ビジョンの抽象度を上げ、かつ事業毎にもビジョンや効能を設定する。
同一事業ドメイン内に(効能の種類が若干異なる)商材が増える場合、事業ドメインにおけるビジョンの抽象度を上げ、簡単にドメイン全体のビジョンを置き換えない。商材毎の効能やビジョン設定を検討する。
ビジョンの一貫性は企業の一貫性と大きく関わるからだ。
【10】
僕はノートを最後まで使い切ったことがない。
今回、それでもいいじゃないかという感覚のアップデートを得ることができた。
そして、ビジョンの一貫性というテーマについて、深く考えるきっかけをもらえた。
ノートにお礼を言うのはおかしな話だが「ありがとう」で締めてみる。