2021年芥川賞受賞作「推し、燃ゆ」投影も青春も言霊も蝉もスマホも祈りも
経営者のブログというよりは、単なる読書好きのおっさんブログみたいになってきた。最近読書量が増えていることには理由がある。
自社の新たな戦略について、机上では完成しているし実際に動いているのだが、まだ「身体感覚」がついておらず、使いこなせている感がないのだ。戦略のアップデートに関する概念への理解は、何らかの比喩表現によってもたらされるはずであるが、まだ自分の中で情報量が多く、オーガナイズされていない。
この脳のオーガナイズを待っている。
待っている間は無性に本が読みたくなることがしばしば。何故かはわからない。読むジャンルも様々。一つ言えるのは、読書をして、自分なりにアウトプットをすることで、近づいている感じがする。
そんなこんなで読んだのが「推し、燃ゆ」である。
第164回芥川賞受賞作品「推し、燃ゆ」
「推し」というカジュアルな表現や、「花、燃ゆ」をもじったユーモアから、エッセー風の軽めの作風だと思いきや、何のその、ゴリゴリの文学作品となっている。
主人公の女子高生が「推しているアイドル」が炎上したことから物語はスタートしている。以後気になったことをつらつら書かせていただく。
だれかを推すということはどういうことなのか?
私は「推す」ということが正直わからないし、経験をしたことがない。そこで本の中にあったヒントを整理してみる。主人公にとって「推す」ならざるものは「推しと個人的に繋がってどうすること」だ。一方、主人公にとって「推す」ということを列記してみる。
理解をすること
- P18:作品も人もまるごと解釈し続けること
繋がる(シンクロする)投影する
- P13:あたしは彼と繋がり、彼の向こうにいる少ない数の人間とつながっていた
- P32:こうすると耳から流れる推しの声があたしの唇から漏れ出ているような気分になる。あたしの声に推しの声が重なる、あたしの目に推しの目が重なる
自分を犠牲にしてでも貢献する
- P49:自分のだかお客さんのだかわからないすみませんで窒息しそうになり(中略)一時間働くと生写真が一枚買える、二時間働くとCDが一枚買える、一万円稼いだらチケット一枚になる、そうやって過ごしてきたことの皺寄せがきている。
- P69:吐瀉物が流れ落ちる(中略)あたしはそのきつさを求めているのかもしれないと思った(中略)閲覧数なんかいらない。私は推しを、きちんと推せればいい
- P71:視界の右端に血液の塊のような赤い斑点が見えるようになり、にきびが顔中から吹き出し始めた。(中略)呑気なことをしている場合でもないし、とにかく日になんども洗い、顔を隠すために前髪を伸ばした。ひと晩中推しのアカペラの子守唄を聞いていないと眠れなかったから、耳の穴が痛んでいた。
主人公にとって「推し」の存在とは?
- P37:背骨かな
- P44:自分の星座は見ないまま出発した。興味がなかった(推しの星座占いだけ見たというシーン)
- P60:彼はたしかに自分で光を発し始めたのだと思う(憧れの対象)
- P14:眼球の底から何かを睨むような目つきから、莫大なエネルギーが噴き上がるのを感じる(憧れの対象)
- P62:握手会で数秒言葉をかわすのなら爆発するほどテンションがあがるけど(憧れの対象)
- P83:からす、なぜ鳴くの、からすはやまに、かわいい七つの子があるからよ、の歌にあるような「かわいい」だと思う(無償の愛を与える対象)
- P112:鞄の底には電源をつけたままの携帯が入っていて録音アプリが起動している。一刻も早く、あの熱に充ちた会場へ戻りたかった。推しの歌を永遠にあたしのなかに響かせていたかった(いなくなったら困る)
推すとは?
自分なりの簡易な解釈なので、ご容赦頂きたいが、上記のヒントから推量するに、推すとは
「自分を愛する代わりに、他人を自身の完璧な影として愛し、応援する行為」なんじゃないかと思う。
P100:推しがはじめて「おれなんか」と口にしたことに気がついた。
という描写があって「何でわざわざこんなこと書いたんだろう」とひっかかりがあったのだが、上記の解釈をすると、完璧な影の欠損という側面や、「俺なんか、私なんかじゃないよ」という投影した自身への隠されたエールという側面を想像できる。
巻末で主人公は、自身が解釈できるのは過去の「推し」のみであり、彼の婚約者だけが「推し」の未来を唯一解釈しうることに傷ついた。と述べている。また以下の様に続けている。
P122:あの時の睨みつけるような眼は、リポーターに向けたんじゃない、あの眼は彼と彼女以外の全ての人間に向けられていた。
推しを理解し解釈したつもりであったはずの自分すら、蚊帳の外であった絶望感と虚しさが想像できる。
そして彼女の青春は終わりを迎え、リセットされ、再び立ち上がっていく。
青春とは?
青春というテーマも読み取れたのでつらつらと。
どうにもならないことへの怒り
「生きているだけで皺寄せが来る(中略)伸びるから爪を切る」という表現と、深夜に母と姉の陰口を聞きショックを受けた際の「肉に埋まったそれを、爪切りの先で抉り出すようにして、また切る。(中略)切っても抜いてもまた伸び続けるものと、どうして延々向き合わなくてはならないのか、わからない」は対比している。前者は諦めつつも冷静に、後者は感情的になりながらやるせなく、爪を切っている。ただ爪を切っているだけなのに、後者は主人公の苦悩と怒りがありありと伝わってきた。青春とは怒りであるとふと思った。
とがるんだけど、確信が持てない
この小説内で主人公の一人称は全て「あたし」であって「私」ではない。担任に「留年しちゃうよ」と伝えられた主人公は心の中で「今がつらいんだよ」と叫んでいた。大人の意見に押しつぶされそうで、逃避するためにやっていることがわかってもらえない。でもその行為が正しいのかどうかもわからない。自信がない。
どれだけ背伸びをしても超えられない壁がある
P65:「わたさない」「ねぇなんで」「いい加減にしなさい」
母親にリモコンを取り上げられ、叱られるシーン。推しの番組を見る為に、わざわざバイトも早上がりしたというのに、どうにも超えられない「子ども」という立場。
大人の嘘に気づいてしまう
P92:だからごめんね、あかりちゃん
人手不足のバイト先を無断欠勤の末にクビになる。どう考えても主人公が悪いのだが、最後に上記を伝えられることで少し読み方が変わる。「(今回の無断欠勤はダメだけど、あなたの人間性は好きなの。でも仕事があまりに出来ないから、これをいいきっかけにしてクビにするわね)だからごめんね、あかりちゃん」と読める。
抵抗するということ
P57:かばう基準も苛立つ基準もわからない。姉は理屈ではなくほとんど肉体でしゃべり、泣き、怒った。
姉について触れている部分。以下は先生に詰問されて答えられない時の主人公の感情描写。
P74:あたしは甘えかかるようで卑しいと思う。肉体に負けている感じがする。(中略)目頭から力を抜いて〜
最後に父親との会話中、肉体に負けて泣いてしまうのだが、それにすら抵抗している。読者である大人の私は辛い時は泣けばいいのにと読みながら思ってしまう。でもきっと主人公にとってこの肉体への抵抗は重要なことなのだ。
自身にも心当たりのある「あるある」
その他思ったことをつらつらと。
P12:「ネバーランド行きたいな」と言ってみると、うっかり本気になりかけた。
言葉にすることで、感情が爆発することがある。幼い頃父に殴られたあと、母に向けて父に関する暴言を吐いた。自分の吐いたことばの重さに驚いて泣いてしまった。言葉にすることで、情動が何倍にもなってうっかり本気になっちゃうことってあるなと感じる。
P24:蝉が耳にでも入ったようにやかましかった。
宿題を忘れたことに急遽気づいた時の感情描写。高校の頃宿題をせずに、自分の年齢を考えるといささか時代錯誤だがよく叩かれたし、廊下にも立たされた。高1から高3になるにつれ”蝉の声”は小さくなっていった。それはあくまで宿題の話で、別の時々にやっぱり蝉がさんざん鳴いた。蝉は孵化してから1週間しか生きられない。はかないと常々思っていたが、これほど文学的表現の中で愛された昆虫が他にいるだろうか。
P85:この数日この四角い端末が自分の四角い部屋そのものであるような気さえしている
最近「スマホ脳」を読んで、スマホを意図的に断っている。この表現は例えなのだが、スマホの依存性という闇が同時に示唆されていると私は感じる。
P116:「おそなえものとか、意味ないのにね」(中略)腑に落ちたのは推しの誕生日にケーキを買うことにしてからだと思う。
祈るというのは「自分には何もできない」と自覚した人間に残された最後の選択の様に感じる。※ただし最近の量子論では実は意味があるかもしれない的なことが言われだしている(と何かで読んだ気がした)