親切の構造


刈谷のサービスエリアで、フードコートの席を確保した後、

周りをキョロキョロしていた。

すると、ある若い男性が「席使いますか?」と声を掛けてくれた。

「ありがとうございます。席はそこにあるので大丈夫です」と伝えた。

親切の構造

嬉しいなとかありがたいなと思った。

まず、誰かが困っていることに気づく人もいればそうじゃない人もいるだろう。

彼は「観察して気づく」人だった。

そして気づくだけでなく「行動できる」人でもあったわけである。

しかし、面白いのは「気づく」ということだ。

「気づく」は観察と共感による

かれは、キョロキョロ辺りを見回した僕の姿を観察して、「席を探している」と共感・類推した。

しかし僕は実際には、子ども用の椅子を探していたのである。

共感は極めて主観的なものだ。

若い彼は、フードコートで、キッズチェアーを探すという行為が共感のパターンに入っていなかったのだろう。

観察・共感能力が高いということ

気づく能力が高いとしても、観察・共感能力が高いとは言い切れない。

観察対象に共感しやすい、属性の近さがあるかどうかが要諦となる。