ここ数日の気づきなど


頭の整理整頓として。

合理性と完了

合理的に考えれば過去の事象に囚われることなく、THXコストは無視すべきだ。ところが人間中々そうはいかない。過去を完了させられず、脳内にその体験がこびりついているので、合理性に邪魔が入る。判断やコミュニケーションのミス・ロスを引き起こしかねない。

  • 01_サウナ
  • 02_運動
  • 03_人と喋る
  • 04_起きている事象の構造を理解する
  • 05_酒のんで歌う

などがこれまで完了の為に取ってきた手法だが、最近02と04があまり出来ていない。いやはや。

自分に見えているものは錯覚である

山中湖のホテルにて、展望室から富士山が見えた。2歳の子どもはしきりに「ムシ!ムシ!」と言っている。何のことだとピントをずらすと窓の近くを大量の小さな羽虫が飛んでいた。富士山”フィルター”が掛かった私は、ものを正確に捉えることができない。見えているものはほぼ錯覚なのである。

サウナではフィルターが取れるという一例

サウナでととのっている時は、フィルター抜きの視野を手にしている感覚がある。白い天井が、うっすらと水面の揺れを反映していることを確認することができる。普段は全く気づかない。「白い天井」という概念として脳が処理をするから、反射する水面の揺れなど見えようもない。

サウナではフィルターが掛かるという一例

5分の砂時計と、12分計が向き合っている小さなサウナで、10分間の滞在をする。12分計が5分を指したところで、砂時計を起動してみた。4分後、12分計は9分を示している。砂はとてもあと1分で落ちるようには見えない。この砂時計は壊れているんだ。12分計が10分に到達したところで、砂時計に振り向いた刹那、砂は落ちきった。

砂時計の構造自体が錯覚を起こしやすいのだろう。円錐の高さが3cmだとして、最初の1cmと最後の1cmでは砂が落ちきる速度は当然違う。同じくらいの高さだから同じくらいの秒数だろうと錯覚するのだ。

そして、高温のサウナ室の中、あと1分も耐えられない「この砂時計は壊れているから今すぐにでもサウナを出よう」というエクスキューズと共に、錯覚が引き起こされる。

自己責任

自由には責任が伴う。責任を取るとは、自分の言葉や行動が他者からどのように評価されても、それを一旦は受け取るということ。

才能と運

イグノーベル賞を受賞した数理モデル。成功に必要なんは能力よりも継続性と運であるという検証結果。ただし、考察として面白かったのは、パレート効果の話だ。富は富がある人に集中しやすいという傾向の話で、実社会で既に成功している人ほど、機会を得やすいというパラメーターをこの数理モデルは搭載していた。

論理を飛躍させるが私の考察としては、信用(クレジット)も簿外の富としてカウントされ、約束を守り続けることにより継続ボーナスが発生すると考える。

ベータ行動とクレジット

ベータ行動という言葉はないが、アジャイル開発や、リーンスタートアップという概念と同じだと思って貰えれば良い。とても良い手法だと思う。一方そのことが会社や個人のクレジット資産を毀損しないように管理することが、長期的な経営者の仕事がだと思う。

子育てに関する言語化が難しい話

子育てに関するネガティブな話は、世の中にたくさん流通している。それは言語化しやすいからだと思う。労働の辛さや、対象の理不尽さというテーマは、誰にとってもメタファーしやすい。これから書くのは割と言語化が難しい内容。伝われば幸い。

シンパサイズエフェクト

1,2歳児は何でも大人と一緒が良い。真似をする。うっかり荷物を足で動かそうものなら、1秒後には自分の行動を後悔することになる。そして大人と同じことが出来たとき、瞳孔が開いて明らかに嬉しそうにする。「パパやママと一緒だ!」こうは言わないが、そのような気持ちを推測できる。

先日、始めて鍋を囲んで同じものを食べた。「パパやママと一緒だ!」という表情を見、感情を想像すると、こちらまで嬉しくなってしまう。嬉しい人の側にいると、シンパサイズされて自分も嬉しくなってしまう。これをシンパサイズエフェクトと名付けてみる。

ある日は、雨の中フリーマーケットを訪れる。泥だらけ、水たまりだらけの会場を楽しそうに走る子ども。危ないので手を引いたら一緒に走るはめに。キャッキャ、キャッキャと嬉しそうな声が響き渡る。自分の服も靴も泥だらけだが、ふと「楽しい」と思う。泥や水たまりの中を走るのが楽しい。39歳の自分ひとりからは湧き上がりようのない感覚だ。これも一種のシンパサイズエフェクトである。

我と汝

マルティン・ブーバーの著書。「産業革命以降、人は置き換え可能なit(労働者)になってしまった。これではその人は尊厳を失ってしまう。youとして扱れることが大事なんだ。『あなたじゃなきゃだめなんだ』という言葉が人に尊厳を与えるのだ」

子どものオムツを替えるのも、食事を作ることもお手伝いさんでも出来るのかもしれない。しかし、子どもを抱きしめる時、抱きしめられる時「あなたじゃなきゃだめなんだ」という意志を強く感じる。これは私に尊厳を与えてくれる。

ロールとビジョン(目的)

企業経営をする中で、ビジョンの定義というものは本当に難しいと思う。ありがたいことに、起業して13年、やっと自分が心の底から燃えられるビジョンと出会うことができた。

それは我々が何者かを定義することであるし、13年の月日を通じて、我々は何ではないか?を自分たちの行動の結果から受け取るフィードバックによって定義してきた。

さて、子どもが生まれると、強制的に役割と目的が与えられる。父親や母親という役割を得る。子どもが小さければ「この子を生かすこと」が目的となり、大きくなれば「一人前の大人にすること」を新たな目的として定義する。

人間は目的があると強い。その為にたくさんの情報収集を行うし、一生懸命考え、行動する。最も大きな報酬は、目的意識があると物事に全力で取り組め、それが楽しいということだ。大抵のことは一生懸命やると楽しくなる。