感謝と糧


長距離を走ったり、激しい運動をしたりして、息が上がって苦しい時には、決まって高校3年時分の健脚大会を思い出す。1日で琴ノ尾岳の登頂と下山を走りながら行う一種の風物詩なのである。

4人一組で走るのであるが、まかり間違ってクラスの中で一番速い組に入れられてしまった。4人全員でゴールしたタイムを競うものであるから、足は引っぱれない。

しかし、その中で一番遅い私は、下山途中には完全にバテてしまった。仲間に励まされて何とか走るのであるが、顎は上がり、口は空き、意識は朦朧。挙げ句の果てに空いた口からヨダレが勝手に流れ出すというゾンビ犬の様な状態で何とか高校までたどり着いた。学年で1位の記録だったと記憶しているが、ゾンビ犬も面目躍如である。

運動して苦しい時はいつもあの時と比較をする。「”あれ”に比べて今のしんどさはどのくらいだろう?」と。

今日の様に長く働いた日は、数年前、多量の仕事を”こなす為”に朝4時に起きて1日16時間働いていた頃を思い出す。こなす仕事と、前のめりにやる仕事では、しんどさは比べようもないが「”あれ”に比べりゃ楽勝だ」と思う。

人間は過去の出来事を後悔しにくいように出来ている。

「あの出来事があったから今の自分があります」と肯定するスタンスは決してプラス思考の人特有のものではなく、”いま”の環境に適応する為に生まれた心の機能であるらしい。

例に漏れず私も「これまでの出来事があったから今の自分がいる」と考えている。

しかし、その出来事全てに感謝しているとは言わない。そう簡単に割り切れないものだってある。

ただし、間違いなく全てを糧にしている。

これからもヴィジョンに向かう道程でたくさんの出来事を体験をして、ガソリンとなる糧を蓄えたいと思う。