力を取り戻すとは
前のブログの続き。100万年の人類史の中で、99万年は狩猟採集を行い、1万年前から農耕生活が始まった。宮台真司さんによると、農耕生活が始まってから世界的に同時多発的に”お祭り”が発生したらしい。定住生活のストレスが耐えられない人類にとって、お祭りにはその発散をする機能があった。例えば「やってはいけないこと」を皆でやって一つの世界に入る体験を作っていた。貴重な食べ物を投げ合うなんて祭りもそうであるし、日本の盆踊りには乱交を行う習慣もあった。
力を取り戻す
祭りでは、”本来の力を取り戻すために、定住生活に入らずに、狩猟採集を続けている部族”を呼んでもてなしていたそうだ。この描写がよくわからなかった。「何故狩猟採集民と触れ合うことで力を得ることができるのだろう?」と。「でも何となくわかる気もするような」といった具合だ。
この違和感の正体を探るために一旦別の話をする。
連想範囲拡大論
前述のブログにて師匠により「いいかヨッシー、純文学なんてエンタメ作品と違って、話の筋なんか大して面白くないんだ。あれは”あるある”を探す遊びなんだ」と教えてもらったが、結局エンタメ純文学が好きで、中村文則、佐藤究何かを良く読んでいると、バーで話していたら「舞城王太郎とか良いんじゃない?」と勧められた。
短編の中で「普通の人に想像力はない。あるのは連想力なんだ」という一節があり、何か心に残った。
ただこの点については、新商品を販売するというケースを想像した時に何となく理解ができた。
まだ商品のジャンルも確立されていない、聞いたこともない商品が自分にどんなメリットをもたらすことを想像できる人は限りなく少ない。ライザップの様な「糖質制限食指導付き、パーソナルトレーニングジム」について、テレビやメディアで何らか接触する機会もなく、言葉だけでその商品の理解や、自身へもたらす効果を”想像”することはかなり困難だと思われる。私のジムでは「筋トレ指導と、炭水化物を食べるなという指導を個々に行います」と言われても、中々わからない。
しかし、連想は随分楽だ。「我々はゴルフ業界のライザップです」「英語業界のライザップです」「ライザップよりお値打ちなパーソナルトレーニングジムです」などで充分伝わる。
脳とは便利なもので、上記の理解をしたのとほぼ同時に10数年前のある人の言葉を思い出した。当時エイチームの役員であった有馬さんという方がいて「移動距離とアイディアの量は比例する」ということを、折に触れて言っていた。「何でですか?」と聞いてみると「う〜ん、何でって言われても、そういうもんだから」と返され「そういうもんか。まぁこの人は天才だから…」とそれ以上突っ込むこともなかった。
“移動を通じて、見聞きするものが増えると、連想できる範囲が広がる?”と心の声がした。アメリカに住んだ経験がないと絶対に思いつかない(連想できない)事業というものはあるだろう。東京の満員電車を体験した人にしか発想できないリラクゼーション体験などもあるはずだ。
移動距離とアイディアの量が比例するという公式を証明する一つの仮説として、連想範囲拡大論というものを考えてみた。
続・力を取り戻す
さて、本題に戻る。
今日仕事で、島根に向かっている。島根に訪れるのは初めてだ。はっきり言って「ワクワクしている」。この感覚の出どころを紐解いてみた。すると「長距離移動自体がワクワクする」という感情を見つけた。「あぁ、脳は狩猟採集民だもんな」としみじみ思った。定住生活不適合な我が脳は、遠出にあたってワクワクしている。そして”力が湧いてくる”感覚を覚える。
力を取り戻すとはこういうことか。
脳にとって最も居心地の良い、狩猟採集生活様式を一瞬でも体験することや、そういう生活をしている人と触れ合ってミラーリングすることで本来の力を取り戻している。
そうすると、移動距離とアイディア量の比例関係について、連想範囲拡大論よりも、この”ブレインオプティマイゼーション(BO)”によって、頭が冴えてアイディアが出るという考え方を支持したくなってきた。
散々書いてきたが、極論どっちでも良くて、やることははっきりしている。
たくさん旅をして、たくさんのモノを見聞きしよう。