坂口安吾「白痴」にて、思考を深める一人遊び(1)
僕が尊敬してやまない作家坂口安吾である。
色んな作家さんがいるけれど、もし存命なら一緒に飲んでみたい人No1なのだ。
超久しぶりに読んだが、心に残ったフレーズについてあれこれ書いてみる。
目次
- 有金をはたいて女を口説いて二日酔いの苦痛が人間の悩みだと云うような馬鹿馬鹿しいものなのだった。
- 才能の貧困の救済組織を完備していた/彼等の魂や根性は会社員よりも会社員的であった
- 賤業中の賤業
- その実態は生活上の感情喪失に対する好奇心と刺激との魅力に惹かれただけ
- 人間以外のものが強要されているだけだった。
- 俺にもこの白痴のような心、幼い、そして素直な心が何より必要だったのだ。俺はそれをどこかへ忘れ、ただあくせくした人間共の思考の中でうすぎたなく汚れ、虚妄の影を追い、ひどく疲れていただけだ。
- いったい言葉が何物であろうか
- 慟哭したい思いがこみあげ(中略)この捉えがたい小さな愛情が自分の一生の宿命であるような
- 会社から貰う二百円程の給料(中略)クビになり路頭に迷いはしないかと不安(中略)月給袋を受け取ると呆れるぐらいの幸福感(中略)その卑小さを顧みていつも泣きたくなる
- 希望を根こそぎさらい去るたった二百円の決定的な力
- 伊沢は女がほしかった。女が欲しいという声は伊沢の最大の希望ですらあったのに、その女との生活が二百円に限定され、鍋だの釜だの味噌だの米だのみんな二百円の呪文を負い、二百円の呪文に憑かれた子供が生まれ、女がまるで手先のように呪文に憑かれた鬼とかして…
- この偉大なる破壊、奇妙奇天烈な公平さで
- 命の不安と遊ぶことだけが毎日の生きがいだった。
- 二百円の悪霊すらもこの魂には宿ることができないのだ。
有金をはたいて女を口説いて二日酔いの苦痛が人間の悩みだと云うような馬鹿馬鹿しいものなのだった。
そこまで言うかという感じなのだが、実際にこういう”バカ”をやる友達がいると、ニヤニヤして「馬鹿だなぁ」とか好意的に言っちゃいそうである。
昔、上司に男同士で仲良くなるには、お酒の失敗、ギャンブルの失敗、女性関係の失敗を話すと良いと聞いて、フムフムと妙に納得した。
よく考えるとそれは何故なのだろうか?
笑えるから?もちろんそうなのだが、浅い感じがする。
“おバカ”が集団にいるとイノベーションを期待できるから?無きにしもあらずか。
安心するから?これな気がする。
何故安心するのか?失敗談の共有はある種の秘密の開示的な効果があって、さらけ出してくれた好意に対して好意で返す様な作用が働いているのだろうか。
または、一面に過ぎないが、その人の底が見えるような気になり、得体のしれない存在ではないと安心できるからか。これは、ある種舐めているとも言える。
イノベーションの線はないか。例えば、戦争中の他国の王様に「戦争辞めましょうよ」と唐突に言いにいった”おバカ”がいたとして、相手の王様が「いいよ。辞めよう」と言ったとする。その命知らずのエピソードを聞かされた”我々”はそのおバカに好意よりも恐怖を抱くだろう。
才能の貧困の救済組織を完備していた/彼等の魂や根性は会社員よりも会社員的であった
戦時中、大本営発表に沿った活動をしていた演芸関係者への皮肉。
自分には才能があると思っている人が、才能のない人を腐す表現をした描写。
こういう言い方をする人って大抵才能がない気がする。
才能がある人はきっとそんなこと気にもせず。
主人公の伊沢自身は、後に200円の呪縛と言うようにサラリイに縛られているわけであるから、一見社会風刺に見える文章だが、よく読めば悲しい男の遠吠えである。
賤業中の賤業
大本営発表に従うしかない自身の新聞記者という仕事を指した表現。
「報道が偏っている」
「メディアは恣意的だ」
「中立じゃない」
なんて怒りの声をネットでよく見る。
よくよく考えると、メディアが中立だった時代などあっただろうか?
広義のメディアで言えば、日本書紀だって平家物語だって決して中立ではない。
株主がいて、広告主が存在する限りその意向を無視すること仕組み上できないはずだ。
国営放送なら大丈夫?NHKはNHK法が拠り所であるから、国家、立法府に楯突けない。
メディアに中立を求めるのは創成期の共産主義の様なもので、天につばなのではないだろうか。
その実態は生活上の感情喪失に対する好奇心と刺激との魅力に惹かれただけ
白痴の女をかくまうと決めた際の言い訳。
難しいことを言っているが、歯が痛いから、手をつねって痛みを紛らわそうというようなもの。
自身の才能のなさ、卑小さ、戦争、何もない現状に、白痴をかくまうという事件をでっちあげて、そのことに欠乏して、意識を集中させている。
退廃的だ。これぞデカダン派。
昔はこういうのをカッコいいと思っていた時期もあったが、今は1ミリも憧れず。
人間以外のものが強要されているだけだった。
万葉集をして「あんなものは発情した犬猫の叫び声だ」と断罪した坂口安吾であるから、肉欲的な表現に対して「人間以外」という言葉が使われている。
ただし、肉欲的な性的な部分は動物的な行為で、非文化的・非人間的なのだろうか。
これはこれで人間的なだと思うのだが、このストイックな伊沢には断罪されるであろう。
俺にもこの白痴のような心、幼い、そして素直な心が何より必要だったのだ。俺はそれをどこかへ忘れ、ただあくせくした人間共の思考の中でうすぎたなく汚れ、虚妄の影を追い、ひどく疲れていただけだ。
西行「良し悪しを思い湧くこそ苦しけれただあらざればあられける身を」
文学の中で度々出てくるテーマ。
いったい言葉が何物であろうか
この答えはルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン著「青色本」に。
慟哭したい思いがこみあげ(中略)この捉えがたい小さな愛情が自分の一生の宿命であるような
卑小なる自身の状況と、たった一筋の愛情を感じ取った、絶望の中にある希望への叫びの様な。
会社から貰う二百円程の給料(中略)クビになり路頭に迷いはしないかと不安(中略)月給袋を受け取ると呆れるぐらいの幸福感(中略)その卑小さを顧みていつも泣きたくなる
芸術に関する仕事をしたいと望みながら、金銭の欠乏に関する状況に右往左往している。
卑小さと言うが何と比べて卑小なのだろうか?芸術的なもの?
不当に縛り付けられているという感覚は男にとって一番きついのかも。
希望を根こそぎさらい去るたった二百円の決定的な力
金本位制を辞めてからの、金融パワーは本当に凄まじい。
伊沢は女がほしかった。女が欲しいという声は伊沢の最大の希望ですらあったのに、その女との生活が二百円に限定され、鍋だの釜だの味噌だの米だのみんな二百円の呪文を負い、二百円の呪文に憑かれた子供が生まれ、女がまるで手先のように呪文に憑かれた鬼とかして…
坂口安吾は結婚が遅かった。もし後輩がこんなことを言っていたら、「うるせぇな、結婚してみたら」と言ってしまいそうだ。
この偉大なる破壊、奇妙奇天烈な公平さで
戦争や革命は物事をリセットするというが、僕には想像もつかない。
命の不安と遊ぶことだけが毎日の生きがいだった。
三島由紀夫もほぼ同じことを言っていた。
戦争中は死が隣にあったから、幸福を強く感じられたと。
危機を脱するという感覚は、人間にとって快楽なのかもしれない。
何故欠乏から抜け出すのが難しいのか、トンネリングを繰り返すこと自体が快楽だとすれば本当にやっかいだ。
二百円の悪霊すらもこの魂には宿ることができないのだ。
耳に障害を持った人は、生涯不快な音を聞くことがなく美しい世界を見ていたという詩を、ある人の葬儀で聴いたことを思い出す。
一方昨今話題の「無敵の人」も同時に去来す。
続く…